大谷知子

子供の足と靴のこと

連載㉔ 正しく履く。靴を文化にするために。

初老の男が、ベッドに腰を下ろし、ふっと一息吐くようなしぐさをした。そしておもむろに手を足元に下ろすと、靴紐を解き緩めると、踵を掴み、編み上げのブーツを脱いだ。その時、男の顔に安らぎの表情が広がったように思えた。
いつのことだったか、映画のタイトルも忘れてしまったが、ストーリーとは全く関係なく思った——ベッドに入るまで靴を履いている。だったら、脱げたら困る。だからちゃんと靴を履くんだ。
書きたいのは、靴の履き方のことです。
B系と言われるファッションを好む男子は、ハイカット・スニーカーの紐をわざと緩め、履き口を開いて履いていますが、こういう男子に限らず、日本人は、紐やベルトといった留め具を緩めて履くのが一般的。その姿を見ると、脱ぐために靴を履いているんだという思いがよぎります。
靴を一日中履く欧米と異なり、そもそも日本は、玄関で履物を脱ぐ、脱ぎ履き文化の国。デンマークで暮らしたことのある知り合いの歯医者さんが、あるキッチン用品について「日本の家庭で使っているのを見掛けるが、使い方が間違っている。使い方の中に文化があるんだが…」と話してくれましたが、日本人は、靴というモノだけを取り入れ、使い方=履き方は取り入れなかった。つまり、靴を文化にはしていないのかもしれません。
暮らし方、人、またモノとの接し方の決まりや方法を子どもに教える躾は、文化の伝承そのものと言えると思いますが、文化になっていない靴は、躾から必然的に除外されていることでしょう。だから子ども達、いえ、親御さん達も、靴の履き方を知りません。そして正しく履いていないと、靴は正しく働かず、足を傷めることにもなります。

●かかとトントン、ベルトをギュッ
そんな中、「シューエデュケーションⓇ」を掲げ、靴教育の普及に取り組んでいる吉村眞由美さんが、靴の正しい履き方を説いています。
その履き方を象徴的に表すのが、「かかとトントン、ベルトをギュッ」。
このように流布されているようです。
しかし得てして、言葉は一人歩きします。平易で、テンポが良く、覚えやすいと、なおさらです。すると、行為はしていても、それっぽいだけで、言葉が意図する正しい行為になっていないことも、よくあることだと思います。
そうならないためには、その言葉が何を実現しようとするものであるかを理解することが重要です。もちろん吉村さん自身が、それを細かく解説していますが、私の言葉で書いてみます。
「かかとトントン」は、“足の踵を靴の踵に合わせましょう”ということです。今の親御さんは言わないのかもしれませんが、靴は、下駄や草履と違い閉塞性の履物なので、手を使わないと足を入れ、つまり履きにくいので、昔のお母さんは、手を使わずに履くために“爪先をトントンして”と言ったものです。もちろん“爪先トントン”は間違った履き方なので、それを戒める意味も含まれていると思います。
そして踵を合わせたら、その状態を保ち、留め具(ベルトや紐)を締めます。その締める行為を表すのが、「ベルトをギュッ」です。

●“腰を下ろして”が、靴本来の履き方
足は体重が掛かると、長さも、幅も、多少長くなったり、広がったりします。また歩く時、足は蹴り出すように運動します。そのため靴には爪先の余裕が必要であり、その余裕を活かすためには、靴の踵が足の踵を捕まえてくれているような状態で、足が靴の中で保たれていることが不可欠。この状態をつくり出すための履き方が。「かかとトントン、ベルトをギュッ」なのです。
さらに言うなら、「かかとトントン」をやろうとすると、靴の踵をつけた地面や床面と靴底面との角度は45度くらいになると思いますが、「トントン」した後に、地面に戻してしまうと、その時、足が前に行ってしまい、踵を合わせたことが無駄になってしまうこともありますが、立って「かかとトントン」をやると、この状態になりがちです。「かかとトントン、ベルトをギュッ」は、腰を下ろして行うのがベストです。
そして「ベルトをギュッ」は、強く締めればいいというものでもありません。緩すぎず、キツすぎず。その加減はやってみて身に付けるしかありません。
さらに言うなら、「かかとトントン、ベルトをギュッ」は、靴を脱ぐ時に始まっています。ベルトや紐が解かれていないとできませんよね。従って、ベルトを外して脱ぐことが前提。「かかとトントン、ベルトをギュッ」は、靴はベルトなどの留め具を解いて脱ぐものであることも教えています。また、スリッポンの靴には、この履き方は当てはまりません。ベルトや紐などの留め具がないので、最初から靴の踵と足の踵がフィットしていなければならないからです。言い換えると、「かかとトントン」で踵が動くようでは、そもそもその靴は足に合っていません。
言葉が意図するものが、具体化されたでしょうか。

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。