大谷知子

子供の足と靴のこと

連載61 再びネオテニー

私は、埼玉県の田舎暮らし。家の前に立つと目の前に広がるのは、車が東西に行き交う幹線道路を真ん中に田んぼ、田んぼ、田んぼです。
そんなところですから、昔から人口が少ない。私が小学校に通っていた、かれこれ60年前でさえ、2クラスは2学年上が最後。私の学年は、47名。それから増えることはなく、娘と息子の頃は、30名前後。10年くらい前は、1学年一桁も珍しくない状況。そしてついに今年3月、閉校に。4月から子ども達は、市内中心部の小学校にスクールバスで通っています。
寂しいな…、と思っていたら、回覧板に“自治会を統合する方向で進んでいるが意見を”と。こんな田舎でさえ自治会に入らない家が珍しくなくなり、自治会長の引き受け手がいない。そんな状況があるのは知っていましたが、統合が、解決策になるのだろうか。
さらに訳あって近くの保育園の会合に出た時のこと。園長先生が、言いました。
「コロナの影響もあるのでしょうが、園に通わせず、自分で面倒をみるお母さんが増えています。地域の子ども達と交流する園開放もできていませんし、介護施設のお年寄りとの触れ合いもできない状況にあります」。
気になったのは、「自分で面倒を見るお母さんが…」という件。入園は順番待ちという現実の一方で、こんな傾向も出てきているのか。それって学校が閉校になったり、自治会が統合されたりと、地域コミュニティのあり方が変化し、それによって人と人との繋がり方が変わる。そういうことと無縁ではないのではないか…。

●群れて遊ぶことが、人を育て、足を育てる
そんなことを思っていたら、“ネオテニー”という言葉が、ぽっと浮かびました。
この言葉に出合ったのは、“サル学の大家”として知られる霊長類学者であり児童文学者でもある河合雅雄先生(1924〜2021年)の著書であり、先生にインタビューしたこともあり、その時の先生ご自身の言葉を引き、このコラムの連載第2回に書いています。
ネオテニーは、日本語では「幼形成熟」と言います。私は、外見は成体と同じ形なのに機能は未成熟で生まれてくると理解しました。ならば、足はまさにネオテニー。生まれた時からちゃんと形は足ですが、骨は未成熟。軟骨が骨に変わり、歩けるようになるのに1年余り掛かるのですから。
河合先生は、サル類と比較しながら「(霊長類において)もっともネオテニーで生まれてしまうのが、人間です」。そして「(そのことは)母親の存在をクローズアップする」と言われました。
続けて詳しくお話くださいましたが、その意味は、人は、人に育てられ成熟し、同時に人は、自ら育つ力を持っており、「育つ」力を引き出すには、サルのように群れさせること。人は、人に育てられ、人の中で育つ。私は、そう解釈しました。
前段に書いた出来事が、それとは逆の方向に向いていることを示している、そう感じたので、“ネオテニー”が、浮かんで来たのだと思います。
人口が減っても、たとえ地域のあり方が変わっても、子どもは人の中に出しましょう。群れて遊ばせましょう。かけっこ、鬼ごっこ、かくれんぼ。ぶつかりそうになってよけたり、急に止まったり。その動きが、足を丈夫に育てます。
そして、その足元を支えるのが、靴。だから、良い靴を履かせましょう。

ⒸYUMIK / PIXTA(ピクスタ)

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。