大谷知子

子供の足と靴のこと

連載⑬ 躾としての靴

ご飯を食べる時、食卓に肘をついてはいけません。
音をたてて食べてはいけません。
食事をしながら他のことをしてはいけません。
「躾」と聞いて、このように食に関するものが思い浮かぶのは、筆者だけではないだろう。現在、このような躾が行われているかどうか、甚だ疑問ではあるが、これらを見て分かるのは、躾とは、生活の中の行いのあるべき姿や方法を示し、教えることだ。
靴が、日本人の生活に取り入れられてから日が浅い。日本人が初めて靴を履き、国内で靴を作るようになったのは、明治維新前後、また靴が日常履きとして庶民に行き渡ったのは、第二次世界大戦後のことだ。明治維新から数えると150年、戦後ということで見ると70年余りしか経っていない。しかも、靴というモノだけが取り入れられ、履き方、ましてや健康に及ぼす影響、さらには子どもたちにとっての重要性は、取り残されて来た嫌いがある。外反母趾という言葉が多くに知られるところとなり、健康に対する靴の影響が一般に意識されるようになったのさえ、1980年代のことだ。
ファッションの一部である以前に、靴は、歩くための道具であり、子どもたちにとっては、足を健全な成長に導く保育具ともいうべきものだ。靴の健康問題に先鞭を付けた出版物に『靴をまちがえると病気になる』(石塚忠雄著/1983年・主婦の友社刊)というものがあるが、このタイトルの通り、間違った靴、つまり歩く道具、そして保育具としての性能を低い靴を履き続けると、足の健康を損ない、子ども達の足は、健康に育たない。

躾としての靴

●躾は、一人でできることを目標に行うもの
1月から始めた、この連載は、正しい靴がもっとも必要な子ども達にとっての靴の大切さを理解いただくために書いて来た。
靴、その前に靴を履く足とは何なのか、子ども達の足を正しい成長に導く靴とはどういうものなのか、その性能を引き出す正しい履き方とは等々。
さらに靴への理解を個人のレベルに留めず、社会全体のものにするためには、何が必要なのか。その大きなファクターとなるのが学校などの教育機関で靴を教えること。また子ども達だけでなく、お母さん、お父さんに広めるためには、母親学級など社会教育や保健教育に属するところでも、足の成長や正しい成長を促す靴や履き方を教えなければならない。
そして最後は、家庭教育、つまり躾だ。
「しつけ」は、「習慣性」を意味する仏教用語の「じっけ(習気)」が、「作りつける」を意味する「しつける」が名詞化した「しつけ」と混同され、「しつけ」として定着したものだと言う。「作りつける=しつける」は、きものや洋服を縫う際、下縫いをする「しつけ」に通じている。
そしてネットで検索していて興味深い記述を見付けた。幼児の言葉の発達の研究で知られる岡本夏木教授(京都教育大学・京都女子大学教授、1926〜2009年)の言葉だそうだが、要旨を紹介すると、
着物を縫う時のしつけ糸は、着物が完成すると外される。子どものしつけも同じ。しつけと言うと強制するような印象があるが、しつけは自律に向けて行うものであり、自律を持って完成する。
靴の躾も、同じ。子ども達が、何も言わなくても一人で正しく靴を理解し、履けるようになるために行うものなのだ。
そして「躾」という漢字は、日本で生まれた漢字、つまり国字だそうだが、「からだ」を意味する「身」に「美」を組み合わせるとは、よく考えたものだ。
躾が完成し、自分でできるようになると、身体は美しく育つのだ。

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。