大谷知子

子供の足と靴のこと

連載69 価値観が生まれる場所

私は、田舎住まい。門の前に立つと、目の前に広がるのは、田んぼ、田んぼ、田んぼです。6月には一面が水田となり、水面を渡る風が少しひんやり。それが3ヵ月もすると、黄金色に変わります。
そんなところから仕事に出て行くので、都内に出るときは、もっぱら新幹線のお世話になっています。
乗るのは、上越か、北陸のどちらかですが、月が変わって乗車する時の楽しみは、座席のポケットに入っている車内誌「トランヴェール」。その巻頭のエッセイです。
そのきっかけは、伊集院静。ある日、何気にページを開くと、そこに彼の名前。読んでみると、心にしみた。それ以来、月替わりが楽しみになりました。
連載が終了した時は、残念で堪りませんでしたが、伊集院静に匹敵するエッセイに出会いたい。そんな期待を持ちつつ読み続けています。

●靴が最低3足。旅の荷物がかさばる理由
さて今は、柚月裕子さんというミステリー作家が書かれています。
2月号は、何を書いていらっしゃるのか。
ページを開くと、色とりどりの靴のイラストが目に飛び込んできました。
「春は靴から」とタイトルがつけられたエッセイには、次のようなことが書かれていました。要約すると、
彼女は山形に住んでいることもあり、仕事で家を離れることが多い。長いと半月も旅暮らしということもある。トランクはいつも満杯。そしてトランクのもっともスペースを取っているのが、靴。
いつも少なくても3足は持って旅に出る。ホテルの中を移動するのに楽な靴、雨が降った時の水に強い靴、それにちょっと改まった席に履いていくパンプス。これに夏はサンダル、冬はブーツと季節に応じた靴が加わる。
どうしてだろうと考えて、一つの理由に思い至った。
冬が長い土地で育った自分は、一年の大半を長靴で過ごした。雪や雨に強い長靴は、北国の子どもにとって最強。それに好きなキャラクターがついていれば無敵だった。
しかし少女と呼ばれる年頃になると、長靴が野暮ったく思えてきて、パンプスに憧れるようになった。だが北国で徒歩通学の少女がパンプスを履ける機会はほとんどなく、満たされなかった少女時代の反動によって、靴の選択肢があることがおしゃれなことという価値観になったのだ、と。

●私の“なるほど”の理由
私は、それを読んで、なるほどと思った。その理由は、人の価値観やこだわりは、幼い時の暮らし方から生まれるのだなと思ったからでした。
このコラムによって伝えたいのは、靴は大事、特に子ども達には、より大事ということ。それを手を変え品を変え書き連ねているのですが、それに賛同した読者が、子ども達に口を酸っぱくして伝えても、子どもの中に根づかないのではないか。
お父さんが日曜日にお気に入りの靴を磨いている。玄関に靴がきれいに並んでいる。いつもスニーカーのお母さんが、ワンピースに美しいパンプスを履き、違った姿を見せる等々。
そんな毎日が、子ども達の中に価値観やこだわりを醸成し、靴は大事と良い靴を選ぶようになり、正しい履き方をしてくれるようになるのではないでしょうか。

画像 柚月さんのエッセイは下記のリンクで読めます。
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/digitalbook/tr2302all/index.html

 

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。