大谷知子

子供の足と靴のこと

連載54 日本の“ダメ”を、靴が克服するために

コラムを2ヵ月もお休みしてしまいましたが、コロナ禍にあっても、お陰さまで元気です。
しかし、世の中はどうか。緊急事態宣言、まん延防止措置共に全面解除されましたが、冬の第6波を警告する専門家は多いにもかかわらず、医療の逼迫を改善する策は、全く聞こえてきません。
そもそもコロナ禍が発生して以降、日本はこんなにダメな国だったのか⁉と思うことしきりです。ワクチン手配の初動は相当に後手を踏んだし、PCR検査もいまだに誰でも受けられるという態勢にはほど遠く、医療も場当たり的な対応であり抜本的には何も改善されていない。欧米先進国と肩を並べたのは、経済だけ。いや、今や経済も危うく、一人当たりGDPは韓国に抜かれ、日々の食事に事欠く家庭が増えている。
いつから、どうして、こんなことになってしまったのか…。
それを思う時、知り合いが言った言葉を、いつも思い出します。
ヨーロッパからいろいろな道具が入ってきているけれど、往々にして正しい使い方をしていない。使い方に、その国の文化があるのに、モノを持ってきただけだから使いこなすことができないんだ。
この言葉は、このコラムで以前にも紹介した気がしますが、その通りだ、強く同意しています。そして、日本をダメにしている原因の根っこも同じところにあると思えてならないのです。

●転んだ子どもを助け起こさないことの意味
例えば、私が子育てをしていた頃、こんなことが言われました。
子どもが転んだら、すぐに助け起こしてはいけません。一人で立つのを待ちましょう。それが自立心を育てます。
これは、西欧流の育児。個人主義、市民社会がベースにある西欧社会で生き抜いていくためには、個の確立が大前提であり、それを教えるために、転んでも安易には助け起こさない。“一人で立つのよ。それが、あなたがあなたとして生きる第一歩なの”。親は、そんな思いで立ち上がるまで見守るのでしょう。
でも、そのような意味を知ることなく、転んだ子どもが立つまでただ見ているだけだったらどうなるでしょう。子どもは、放っておかれた、自分は愛されていないのかと感じるかもしれません。それは、子どもを良い方向に向けてくれないように思います。日本のお父さん、お母さんは、転んだ子どもが自ら立ち上がるのを見守るとき、“それがあなたとして生きる第一歩”だと思えているでしょうか。
道具でも、習慣でも、社会のシステムでも、「いかに」「なぜ」の中に文化があり、その文化を理解し取り入れないと、表面だけの移入に終わり、その国の文化として根付かない。ダメになっていく原因は、そんなところにあるのではないでしょうか。
西欧のものである靴も、同じです。
なぜ、靴が重要なのか。なかでも子ども靴を重視するのは、なぜなのか。
その“なぜ”を理解すると、“なぜ”に叶う靴は、どんな靴なのかが、自ずと見えてきます。
そうなることの最大のメリットは、この靴が、このブランドがいいという商品情報に頼らなくても、自分でより良い靴を選べるようになること。言い換えると、知識を使いこなせるようになることです。
すると、さらに良いことが起きます。“この靴は、こんなところがいいのよ。だから、こうして履くといい”などと教えられるようになります。その結果、知識がつながり、やがて文化になっていきます。
このコラムが、その道しるべになることを祈って。

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。